令和地建株式会社
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2020年04月05日
本日のコラム

都市計画法の見直しも

先日、東京から友達が来て話しを伺ったのですが、スーパーなどでの買い占めが凄まじいようです。

港区は特に酷いらしく、除菌や紙類が全て品切れで、食料の確保で精一杯。

トイレットペーパーは、地方に住む知人などから送ってもらっているそうです。

狭い箇所に人が密集してて、土地の値段が高騰してスーパーや量販店も必要最小限度にならざるを得ない、結果、緊急時に対応できない、こういう事態ですね。

一方で、これから確実に進む少子化に伴い、都市部への一極集中とその周辺の過疎化は、これはこれで避けては通れない問題です。

問題と言いましても、それが全て悪いことではないのですが、良いことばかりでもありません。

国が地方自治体に要請している大まかな取り組みとしては、コンパクトシティの促進であります。

「駅周辺や市街地に人を集め、それ以外は積極的に誘致はしない」ような政策です。

実は宗像市でもそのようなことを行なっておりまして、「居住誘導区域」と「それ以外」に分けて、居住誘導区域の外では届出などが必要になったりしてます。

福津市でも景観条例が厳しくなったりで、それなりの規制は毎年のように何かしらあるのですが、そもそも住む場所を行政が縛るのはどうかとも思います。

今の都市計画法は、1960年代の人口増加、高度経済成長期に伴い、無秩序な乱開発を抑止する目的で1968年に制定されました。そこから公園の配置や高さの制限、景観法などがちょこちょこ改正され今に至ります。

時代に合わせ、その都度改正はされてきたのですが、行政側が国民に強制を強いるようなものの代表例として、

「市街化調整区域では(自由に)家が建てられない」

このようなものが広がっていくと、私有財産権の侵害に抵触するような気がしないでもありありませんよね。資産価値はどうしても下がってしまいますので。

市街化調整区域になる前に「建物があった」という事実があれば、同規模同種の建物は建築可能なのではあるのですが、少なくとも自由が強く制限される線引きであることは間違いありません。

ところで、新型コロナの感染拡大の大きな要因は「人口の密集」です。

クラスターやオーバーシュート、ロックダウンなどなど、いかにも「危険」「恐怖」を感じさせる言葉をメディアはこぞって出しておりますが、

クラスター:集合体、群れ、爆弾

オーバーシュート:度を越す、行き過ぎ

ロックダウン:都市封鎖

パンデミック:世界的大流行


なぜ、わざわざカタカナ横文字なのでしょうね。
そういえば、東日本大震災の時もカタカナ横文字、使われました。メルトダウン(炉心溶融)やベント(圧力排出)など。

人口の密集が感染拡大を助長するのであれば、人口の密集してないところに避難すれば良いのでありますが、これまで行なって来た都市計画自体が「人口を密集させるもの」だったので、要するに国の政策自体が逆行してたわけです。

 実際に、人口1万人ほどの島に住む知人に聞いたところ、全くパニックになってないようです。封鎖も楽ですからね。島に入ってくる人も場所も限られてますので。

それでも、これからも相変わらず密集させようとするのでしょうか。

もちろんこれには理由がありまして、国の予算が限られているので(本当はそうでもないのですが)、人が分散すると防災安全保障上、効率が悪いから、だそうです。

当然、大雨や地震津波が頻繁に起こる日本列島においては、小さくまとまってた方が救助も管理もしやすいし、低予算化できて安全っぽく(!?)感じます。

ただ、自然災害は大雨や地震ばかりではありません。密集させるばかりが良いとは限らないのですね。

東京はもちろん便利です。私も20年近く住んでいたので、その便利さはよく理解してます。大雨があっても、地下の用水路がどデカイので、なかなか道路まで冠水しません。地震があった時も、周りにたくさん人がいるので、なんとかなりそうな気がします。物資もたくさん送られてきます。

その便利さゆえ、人が集まり、仕事が増え、インフラも整備されるのでまた便利になり、人が増え、仕事も増え、これをず〜っと繰り返して来て、今、日本一住みづらい街なってしまいました。

そもそもどこに住んでどのようなライフスタイルで生活するかは個人の自由であるべきですが、それには当然自己責任も伴います。

何かあると「国が責任とれ!」と言い、普段は「自由にさせろ!」

これはまかり通らないと思いますが、少なくとも、

国民の声を反映した国の政策として進めて来た都市計画自体今後、見直さなければならないのかもしれません。

この記事を書いた人
薙野 秀貴 ナギノ ヒデキ
薙野 秀貴
お釈迦様の有名なエピソードですが、ある日弟子が「良き友を得ることが聖なる道の半ばだと思えるのですが?」と訪ねたのに対し、お釈迦様は「道半ばではない、聖なる道の全てだ」と答えたそうです。ここで言う「良き友」とは、人生上で起こる様々な苦しみや悩みから解放してくれ、同時に学びや喜びを共感してくれ幸せを気づかせてくれる存在です。それは時に上司だったり部下だったり、先生だったり師匠だったり、旦那さんや奥さんであったりするかもしれません。それをお釈迦様は人生で最も尊重しうる「友」としたのですね。 インターネットやSNSの浸透で、より早く、より膨大な量の情報、そして人へのアクセスが可能になりました。 その中から種々選択する毎日に追われ、現代は、情報化社会から選択社会になったかのように感じてしまいます。 令和が始まったそんな時代、我々も不動産という仕事を通じて、皆様にとっての「良き友」に少しでも近づくことができるよう、努力して参りたいと思っております。
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