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2020年03月11日
政治・経済・社会・心理学その他

新型コロナ問題をゲーム理論で考える

人類普遍の問題です

トイレットペーパーの品切れにより、オーストラリアでは乱闘事件があったようです。

日本でももう2週間以上品切れ状態ですが、これ、不思議だと思いませんか。

日本では1973年、第四次中東戦争による石油価格の上昇を受け、政府が「紙資源節約の呼びかけ」を行ったのですが、それがいつの間にか「紙が無くなる」というデマに変わります。

ちょうどその頃、大阪のあるスーパーでトイレットペーパーの特売があったのですが、そのデマを受けたのもあり、特売品は直ぐに売り切れてしまいます。

さらに、通常の価格で売られていた品も即売したため、ある新聞社が「トイレットペーパーの価格が2倍になっている!」と報道し、その後全国で買い占めが横行してしまうという事態になったのです。

当時も現在と同じ、在庫は十分にあるのに品物が店頭から消える、という騒ぎになり、政府から「買い占め抑制」のお達しが出ました。ここまでは現在と同じですが、当時の政府は、さらに総需要抑制を目的とする「石油緊急対策要綱」を閣議決定してしまい、高度経済成長が終わってしまう、という流れになります。

デフレ現象とは「総需要の不足」であり、貨幣量の問題ではないのがよく分かるかと思いいます。

日本に限ったことではなく、人類というのは根本は同じなんですね。外国では乱闘になったり窃盗があったりするようですが、日本では「転売!?」ですか。これだけSNSやアプリ、インターネットが張り巡らされた世の中で、転売はどの国でも行われているようですが、それを規制する取り組みも同時に行われているようです。

問題は、「本当に必要な人に物が届かないことです。

自分が良ければ良い、他人のことは後回し、という考え方が、全体の利益を損なう

これはゲーム理論でいうところの「囚人のジレンマ」で説明がつきます。

人類普遍の性質、人の本質を暴くようで恐縮なのですが、1944年ごろに出版された「ゲームの理論と経済行動」という本により世間に知られるようになったこの概念、簡単に言えば、人間相互の行動パターンを数学的に説明した本ということでしょう。

さて、現在進行形の「新型コロナウイルス」による世界的なパニック。

インフルエンザによる死者は1日に50人以上(シーズン時)なのに、なぜかそれより致死率の低い「新型」で、店頭からマスクや紙類が無くなるこの現象。

「囚人のジレンマ」を軸に、説明いきましょう。

 

具体例

環境問題を例にとります。

大きな湖にまたがって、A国とB国があります。それぞれの国は湖水を汲み上げて国の基幹産業に利用していました。ところが近年、両国の排水が湖水を汚染し、自国の産業に悪影響を及ぼすようになり、双方で浄化基準を作ることが提案されました。(その浄化基準を達成する為には当然多額の費用がかかります)

しかし、一方の国だけだが浄化基準を満たせば、もう一方の国は費用をかけなくても湖の水質の汚染レベルは環境基準を満たすことが判明しました。

そこでこの2国は迷います(囚人のジレンマ)。浄化基準を満たす為の費用を、他の設備投資や開発費用に回せば自国産業は経済発展します。他方、浄化基準を満たす投資をすれば、その分、経済発展の為の投資ができなくなり、国際競争力に遅れをとり経済的損失を生みます。

「相手に浄化基準を満たす為の投資をしてもらい、自国は経済発展の為の投資をする」

双方がこれを考えますが、

両国とも浄化投資しない→汚染問題が解決されない(損失が出る)

両国とも浄化投資をする→湖は浄化される為、多少の経済発展はできる

一方が別の行動を取ると、浄化の為の投資をした国は、経済発展が遅れますので、大きな損失が出ますが、もう片方はその分を経済発展の為の投資に回せる為、大きな利益が出ます。

以上を数字で表すと、

最適解を見つけたはずが

さて、解はあるのでしょうか。

このような問題を「囚人のジレンマ」と言います。

これが成立する為には条件がありまして、

①相手が協力した場合、自分は協力しない方が有利

②相手が協力しない場合、自分も協力しない方が有利

③双方とも協力しない場合、双方とも協力した時より悪くなる

以上を満たす場合です。例はたくさんありまして、地球の温暖化の問題や、軍拡の問題、身近なところで町内会の役員を誰がやるかや、いじめの問題などが挙げられます。

もしくは店舗間の激安競争もそれが当てはまります。

安さで競争してしまうと(両方が協力しない場合)、両方とも共倒れ、という事態です。

逆に、価格協定で両方が協力すると、一人勝ちはしないが、そこそこの利益は見込める、という状態。

これを先ほどの例で表にすると、

A国の視点で見てみますと、

B国が協力した場合(浄化投資した場合)→ A国は「協力しない」方が利益が大きい

B国が協力しない場合(浄化投資しない場合) → A国は「協力しない」方が損失が小さい

となります。つまり、

「A国もB国も浄化の為の投資をせず、今のままにしておく(ー5,−5)が最適な戦略」

ということになってしまいます。このように、相手の取りうる全ての選択に対し、自分の利益を最大化した場合の解(戦略)のことを「支配戦略」と言います。

ただこれでは、「 A国もB国も両方が浄化の為の投資をした」状態(3,3)より悪くなってしまってます。

 

現在の「コロナ問題」で考える

このように、それぞれが最適と思い合理的な選択をした結果、全体としては好ましくない結果になってしまう状況のことをゲーム理論の「囚人のジレンマ」と言います。

これを現在の新型コロナウイルスの「マスク品切れ」問題に当てはめてみますと、

自分がマスクを買えば、自分は利益だが、他人はその分買えない(不利益)

自分がマスクを買わなければ、他人が利益

自分も他人も買えば、店頭から物がなくなり品薄

自分も他人も買わなければ、店頭には常に在庫がある

このようになります。ただ、前提条件として、

買う場合→自宅にストックが無い

買わない場合→自宅にストックがある

利益→ストックの心配が無い

不利益→ストックの心配をしなければならない

と定義しておきます。

自分も他人もマスクを買うという合理的な行動をとると、店頭から物が無くなり、不安や犯罪が増えます。これは、自分も他人も買わなかった場合の不利益「もしかするとウイルスの蔓延によりマスクが日本中から消えるかもしれないという」不安を、上回ってしまってます。

本当の解の見つけ方

在庫が日本中から無くなることは、なかなか起こらないことは何となく理解できてても、自分にとって合理的な行動を起こしてしまうんです。たとえそれが全体としては非合理と分かってはいても。

当然、これは仮定もそもそもまちまちですし、あくまでも当てはめて考えてみた結果ではありますが、本当の意味での最適解というものはあるのでしょうか。

この「囚人のジレンマ」という状態に陥った時、これを解決させる為には、「罰金を課す」「制限を課す」という方法があります。

例えば、A国B国の例で言えば、

「一方が浄化の為の投資を〇〇ドルした場合は、もう一方の国は〇〇ドルの浄化投資をしなければならない。履行が行われない場合は制裁金として〇〇ドル課す」

このようなものです。

また、マスクの例でいうと、これは資本主義経済下での自由競争の原理が働くのでなかなか難しいのですが、

・  問屋から行政が買い取り、行政の管理下で配布する

・  一定以上の金額での転売に懲罰を課す(氏名と店名の公表も)


早速、政府も似たような取り組みを始めているようです。

【マスク転売で1円でも利益得たら犯罪に 問われる警察のやる気と転売サイトの本気度】
【政府、マスク250万枚を民間放出へ 新型コロナで品薄】
 


 

最後に

いかがでしたでしょうか。先ほども少し触れましたが、インフルエンザによる死亡者数は国内で年間約3000人、シーズン時は昨年で54人/日だそうです。

現在のコロナウイルスによる死者よりはるかに危険であるのに、今年はほとんど騒がれてませんよね。これは、新型コロナ対策で、みんながマスクや手洗いなどを行っている為、インフルエンザも抑え込まれてるからのようです。

 死亡者数の多い少ないで問題意識をあおるつもりは無いのですが、少なくとも人間が持ってる非合理的な性質というものを全員が理解すれば、本当に困ってる方を助けることができるのは明らかです。

 かく言う私は、この騒動の中、一度もマスクを買ってません。普段から買ってて、それを煮沸や消毒するなどで大事に使ってるので、逆に減りません。トイレットペーパーは、家のものがあと2ロールになってしまったので、一セットだけ買いました(会社のものはお客さんが来ないので減りません⤵︎)。

 資本主義経済下、買うも自由、買わないも自由、付ける値段も売る個数も自由です。ただ逆にみんなで買うのやめれば、店頭は溢れんばかりの在庫で、安い金額の品で一気に棚が埋まる、というのも、資本主義経済です

 「個の合理性は全体の非合理性」という囚人のジレンマ、その本当の最適解は、

利他の精神なのかもしれませんね。

この記事を書いた人
薙野 秀貴 ナギノ ヒデキ
薙野 秀貴
お釈迦様の有名なエピソードですが、ある日弟子が「良き友を得ることが聖なる道の半ばだと思えるのですが?」と訪ねたのに対し、お釈迦様は「道半ばではない、聖なる道の全てだ」と答えたそうです。ここで言う「良き友」とは、人生上で起こる様々な苦しみや悩みから解放してくれ、同時に学びや喜びを共感してくれ幸せを気づかせてくれる存在です。それは時に上司だったり部下だったり、先生だったり師匠だったり、旦那さんや奥さんであったりするかもしれません。それをお釈迦様は人生で最も尊重しうる「友」としたのですね。 インターネットやSNSの浸透で、より早く、より膨大な量の情報、そして人へのアクセスが可能になりました。 その中から種々選択する毎日に追われ、現代は、情報化社会から選択社会になったかのように感じてしまいます。 令和が始まったそんな時代、我々も不動産という仕事を通じて、皆様にとっての「良き友」に少しでも近づくことができるよう、努力して参りたいと思っております。
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