令和地建株式会社
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2020年11月01日
本日のコラム

ハロウィンの楽しみ方

今日はいよいよ大阪市の住民投票ですが、結果がとても気になります。

マスコミによるニュースの出し方によって結果が左右されるという、変てこな民主主義により政治が捻じ曲げられる世の中になってますが、マスコミがニュースを出すことによって捻じ曲げられてしまった「文化」をご紹介します。

いつの間にか海外のハロウィンが「仮装大会」になってしまってますが、私の感覚では2010年ごろから、明らかにハロウィンの楽しみ方に変化が出てきたように思います。

それまではまだ、海外から入ってきたもの、としてどこか敬意というか、2〜3歩引いたところから楽しむ傾向がありましたが、10年ほど前から、あたかも「古くから日本にあるもの」かのように捉え、

ハロウィン=仮装大会、仮装を楽しむもの、仮装を披露し合うもの、仮装しなければもったいない

こういう感覚に変わってきたように思います。

ただ、それは当たり前のことではあります。

1990年代は、日本国内で10月31日に仮装を楽しむという文化は、ほんの一部に限られてました。

日本に住む外国人が主催するホームパーティーや、一部飲食店で、常連客達を招いての小パーティーなどです。

その頃に生まれた子供達が、夜、出歩くようになったのが、ちょうど2010年ごろ。

それ以降は数も増え、今の「ハロウィン仮装大会」を楽しむ若者は、それが海外の文化であることは承知してても、「楽しみ方は日本流」で良いわけです。

クリスマスも、アメリカでは家族で過ごす、ホームパーティーを開催し、友人知人を呼んで楽しむ、というものが、日本では、なぜか「カップルのための」ものとなり、その後「出会いを求めるためのツール」として扱われるようにもなりました。

近年のハロウィンも、同じ傾向があります。

夜な夜な集まって何をやってるかというと、だいたいがインスタやツイッター、Tiktok、YouTubeなどのネタ、それか、”出会い”のどちらかです。

海外では、出会いたければ声をかける、というのが普通ですが、日本では、そのようなことをすると変態扱いされてしまいます。

なので、婚活サイトや出会い系サイトを使う人も多いのですが、ハロウィンやクリスマスなどの行事もそのためのツールとして使われているのです。

日本に昔からある「祭り」にもそういう目的はあるのですが、逆に、出会いを求めて盆踊りに行く人は、あまりいないと思います。

何れにしても、コロナ禍で経済が疲弊してる中、承認欲求の塊とも言えるSNSと、誰かと出会いたいという欲求だけは、ウイルスに勝ってたようです。少なくとも福岡市内の一部では。

毎年酷くなっている渋谷の方は、逆に静かだったようですが。

マスコミがニュースにすることで年々煽られ、その姿が変貌していくこのような文化は、良い意味でも悪い意味でも日本らしいというか、ガラパゴス化した島国の特徴でもあるように思えます。

その「ガラパゴス化」が、逆に日本の文化にもなり、海外からの観光客が目を丸くするという現象が起こっているのも、笑えるお話です。

江戸時代後の明治以降、様々な文化が入ってきて、日本独自のものだったり日本古来から伝わるもの、守らなければならないアイデンティティーのようなものが失われないかと心配になることもありますが、そこはあまり肩を強張らせず、柔軟に受け入れ、日本の形に変えてしまう、という具合で良いのではないでしょうか。

というわけで、うちのNo.1営業マンも、昨夜は仮装を楽しんいたようです。

まさか、出会いを求めていたのでしょうか。。

この記事を書いた人
薙野 秀貴 ナギノ ヒデキ
薙野 秀貴
お釈迦様の有名なエピソードですが、ある日弟子が「良き友を得ることが聖なる道の半ばだと思えるのですが?」と訪ねたのに対し、お釈迦様は「道半ばではない、聖なる道の全てだ」と答えたそうです。ここで言う「良き友」とは、人生上で起こる様々な苦しみや悩みから解放してくれ、同時に学びや喜びを共感してくれ幸せを気づかせてくれる存在です。それは時に上司だったり部下だったり、先生だったり師匠だったり、旦那さんや奥さんであったりするかもしれません。それをお釈迦様は人生で最も尊重しうる「友」としたのですね。 インターネットやSNSの浸透で、より早く、より膨大な量の情報、そして人へのアクセスが可能になりました。 その中から種々選択する毎日に追われ、現代は、情報化社会から選択社会になったかのように感じてしまいます。 令和が始まったそんな時代、我々も不動産という仕事を通じて、皆様にとっての「良き友」に少しでも近づくことができるよう、努力して参りたいと思っております。
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