令和地建株式会社
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2020年09月28日
本日のコラム

「無知の知」を知る

さすがに自殺が懸念されます。

竹内結子さんは同世代なので、私も大変心が痛みますが、そういう方多いでしょう。

まだ原因がはっきりしておりませんのでなんとも言えませんが、前日までは家族で団らん、寝室に一人で、となると、それ以外に無いでしょう。

改ご冥福をお祈りします。

 

最近の世の中、SNSで暴かれる、これまでは暴かれなかった真実のようなものが白日のもとに晒されるので、絶望的な気分になることがあります。

例えば、

世界には支配者のようなものがいて、我々は所詮奴隷である

とか、

日本は財政破綻の恐れはないのに、それを煽って金ヅルにしようとする勢力がある

などです。

ただ、少し考えれば分かると思うのですが、仮に「奴隷」や「財政破綻の恐れ」があったにしても、現実社会では、みんながスマホを持ち、行きたい場所にもすぐにアクセスでき、食べたいものは数百円で買えてレンジでチン。少し地方に行くと車は一人1台で、映画やスポーツも定額なら見放題。買い物するにも、恋人に出会うのも、調べものするにも、指先でピピッとすれば終わり。

結構、夢のような生活じゃありませんかね!?

これなら、奴隷で良いような気もしますがいかがでしょうか。

「悟り世代」なる言葉があり、今の若い方たちは、以前は大人から教えてもらってたことをスマホで事前に知ることができるので、世の中の仕組みや出来事に詳しい方がたくさんおられます。
ただ、そういった10〜20代の方と長いこと付き合ってきた私から見ると、

「そんなに世の中甘くないよ」

と、一言付け加えたいと思います。

インターネットなどでは、一見知った気にはなりますが、根っこが分からない。

「奴隷」や「財政破綻の恐れ」などと、表面上のことは知識として入ってくるが、その根っこが理解できない。

その「根っこ」とは、人としての人情の機微であったり、精神性であったり、文化的な側面もあると思います。

例えばホリエモンさん。

私は個人的には、大変尊敬します。頭もいいし、物言いもハッキリしており、的を得てることばかりです。ホリエモンさんが総理大臣になれば!?と考えることもあるぐらいです。

ただ、ホリエモンさんは「物の言い方がきつい」という点があります。

「バカ」とかをハッキリ言ってしまうので、それを聞いた他人は、それ以上の主張をシャットアウトしてしまうのです。

ただ、彼の精神性を深く読み解くと、根っこは相当深いものがあります。

何冊か本も拝読いたしましたが、彼の主張は簡単に言えば、

いつまでもこれまでの日本を引きずるんじゃなくて、新しい考え方を取り入れて、悪しき慣習をぶっ壊して、みんなで前に進んで国として人として成長しよう

というものだと思います。

表面的なことだけを見るのではなく、精神性の部分を理解すると、彼が普段SNSなどで主張していることの本意が分かります。

知った気になって知ってない

ということが世の中の本質であり、それはソクラテスも「無知の知」として述べてます。

ソクラテスは当時、自分より賢いものが本当にいないのかを確かめるために、政治家や詩人、職人などを訪ね歩き、問答をした結果、

◆自分自身に知恵があるとは思ってはいても、実際には知恵があるわけではなく、思い込んでいるに過ぎないこと
◆ソクラテスは自分が知らないことについて「それを知っている」とは思っていない限り、彼らより知恵があること

に気づいたのだそうです。

哲学界の知の巨人と言われたソクラテスが行き着いた答えが「無知の知」。

「知らないことを自覚すること」なんですね。

今の社会は、SNSの無秩序な浸透と広がりにより、相対主義(人の価値観はそれぞれなんだから、迷惑かけなければ何やってもいいでしょう的な考え方)が蔓延し、倫理の崩壊が起こってるように思います。まさしく、ソクラテスの生きた紀元前500年当時のギリシャのように。

それぞれが電波を通じた”世間”を形成し、見えない同調圧力に晒されながらも、日本独特の”個”を主張し合うので、倫理が崩壊、認知的不協和に陥ることで拍車がかかり、お先真っ暗。それ

原因で特に夢も希望も持てないので、絶望的な気持ちになるのではないか、と思うのです。

今一度、「知らないことを知ること」「不知を自覚すること」で、世の中の見え方も変わってくるのではないでしょうか。

あなたも私も偉い学者先生も政治家も官僚も、ホリエモンさんも、「所詮はみんな無知なのだ」と認識することで、本当の意味での「自助、公助、共助」に立ち返ることもできるのだとも思います。

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この記事を書いた人
薙野 秀貴 ナギノ ヒデキ
薙野 秀貴
お釈迦様の有名なエピソードですが、ある日弟子が「良き友を得ることが聖なる道の半ばだと思えるのですが?」と訪ねたのに対し、お釈迦様は「道半ばではない、聖なる道の全てだ」と答えたそうです。ここで言う「良き友」とは、人生上で起こる様々な苦しみや悩みから解放してくれ、同時に学びや喜びを共感してくれ幸せを気づかせてくれる存在です。それは時に上司だったり部下だったり、先生だったり師匠だったり、旦那さんや奥さんであったりするかもしれません。それをお釈迦様は人生で最も尊重しうる「友」としたのですね。 インターネットやSNSの浸透で、より早く、より膨大な量の情報、そして人へのアクセスが可能になりました。 その中から種々選択する毎日に追われ、現代は、情報化社会から選択社会になったかのように感じてしまいます。 令和が始まったそんな時代、我々も不動産という仕事を通じて、皆様にとっての「良き友」に少しでも近づくことができるよう、努力して参りたいと思っております。
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