2020-06-23
最近、梅雨とは思えないような晴れ間が覗いてますが、先週末は宗像市の歴史が学べる資料館、「海の道むなかた館」へ行ってまいりました。
場所が「道の駅むなかた」にも近いので(名前がややこしいですがw)、天気の良い日は宗像大社のお参りも含め、この辺り一帯の散策は是非オススメです)^o^(
今のところは(!?)自粛もしておらず多くの人で賑わってます♫
さて、先日の記事(→「一億総記者の時代に!?」)でもお伝えしたように、やはりこのようなオウンドメディアで情報発信をするのであれば、なるだけ役に立つものを、実際に自分の目で見たものや書籍などで調べたものを載せるように心がけているのですが、宗像市や福津市近辺の地域の施設で、ご紹介したいところはまだまだたくさんあります。
コンセプトは「田舎の贅沢」ですので、なるだけ「楽しくて美味しくて便利で為になるもの」を、お届けしたいと思っております。
というわけで今日はこちらの寓話をご紹介。
【効率の悪い畑仕事】
孔子の弟子である子貢が南方の楚に旅行して、晋に帰る途中、漢水の南を通りかかった。
見ると一人の老人が野菜畑を耕作しようとしている。地下道を掘って井戸の中に入り、瓶(かめ)を抱えて外に出てきては水をやっていた。骨が折れて苦労の大きい割に仕事がはかどらないようだ。
見るに見かねて子貢は声をかけた。
「こんな仕掛け道具をご存知ですか?一日に百もの畝に水を撒くことができます。労力が大変少なく、しかも効果はたくさん現れます。ご老人、ひとつ使って見る気はありませんか?
畑仕事をしていた老人は、子貢を見上げながら言った。
「どんな仕掛けだね?」
子貢は、はねつるべの説明をする。
「木を削って仕掛けを造り、後ろを重く前を軽くします。これで水を汲めばものを引き出すように汲めて、水があふれ出すように素早く撒くことができます。その名をはねつるべと言います。」
これを聞いた老人は顔色を変え、軽蔑の笑顔を浮かべて言った。
「私の先生からこんなことを聞いています。便利な道具があると、必ずずるいことが生まれる。ずるいことが生まれると、必ずずるい心が生まれる。ずるい心が胸の中にあると、純白の美徳が失われる。純白の美徳が失われると、精神が乱れる。精神の乱れた人間は、道という支えがなくなる。
はねつるべを、私は知らないわけではありません。恥ずかしいから使わないのです。」
子貢は恥ずかしくなって顔を赤らめ、顔を垂れたまま何も答えられなかった。
(出典:座右の寓話)
はねつるべ(福島市民家園HPより)
Mr.Childrenの歌に「彩り」という名曲があります。
ファンの間では「神曲」とも言われてるそうですが、この曲、もしご存知なければ、その歌詞と比較して(もちろんメロディーも神がかってますが)、この寓話を再度読み直すと、深〜い意味が見えてきます。
10年ほど前、私が東京にいた時分、当時の知り合いからこう言われたことがあります。
「俺はこの世で分からないことは何一つ無い。知りたいことがあれば俺に聞いてくれ。なんでも答えてあげるから」
そこで私は、(うろ覚えですが)法律の解釈についての質問をしたかと思います。
すると、その知り合いの方はスマホを取り出し、調べ始めました。
私は心の中で、こうつぶやきました。
「それなら、俺でもできる」
いかがでしょう、この寓話…いや、寓話じゃありません、実話です!!
その頃からさらにSNSが進化し、蔓延し、情報網はさらに複雑化しました。
そのおかげで、今の世の中、分からないことは無い、何でも瞬時に調べられる時代になりました。この私の知り合いの男性同様、みんなが「分からないことがあったら聞いてくれ」状態で、どんな些細なことでも、指先ひとつで数秒で解決します。
Siriの登場で、機械に話しかけて解決することもできます。
人間はもう無敵ですね。
情報のソースも、何処かの誰かが調べて記事にした(アップした)ものばかりなので、それを互いに共有しながら、さらに進化させて階層を深めていく、その作業を繰り返し行なえば、
Google Earthでイタリア旅行
買い物も現地の食べ物も自宅で楽しむ
こんな時代になりました。
まさにStay Homeじゃないですか。
これまで本コラムでも書いてきましたが、これ、私はずっと否定的なのです。
その理由が、この寓話(もう1つは実話)とMr.Childrenの「彩り」の歌詞に込められてます。
上の寓話では、はねつるべを使えば、当然仕事は効率化します
ただ、この老人は、あえてそれをしませんでした。
その理由を、
「便利な道具があるとずるい心が生まれ、それが挙句、精神を乱し道を失う」
と説明してます。
解説文では、「便利なものを使う人からは必ず機事が生まれ、機事からは機心が生まれる」とされてます。
機事:物事をたくらむこと。 また、巧妙な行為。
機心:機を見て活動しようと思う心。 また、たくらみのある心。
便利さを追求していくと、人間の心が失われます。
理由は簡単で、機械に頼るから、です。
機械に頼ると、人間の心が機械化します。機械化のことを人間は効率化と言います。
効率化というと聞こえは良いのですが、果たして本当に効率化しているのでしょうか。
効率化とは、「資源・財の配分について無駄を無くしていくこと」です。
無くすのは「無駄」であります。
それでは、はねつるべを使って水を撒くことが「無駄を省いてることになる」のか。
労をかけて骨を折って穴倉の中に入って一回一回水を汲み出して手で水を撒く作業が、この老人は「無駄ではない」と言ってるわけですね。
機械を使って労を削った分、人の心まで削られる。
労を削って便利さを追求する心からは機事が生まれ、次の機心を生む
と諭したのですね。
一見無駄なのようでも無駄ではない。
直接手で畑に水をあげて作物と心を通わせるその工程自体を楽しんでたわけです。
「何の役にも立ってないように見える小さな作業でも、それが回り回って誰かの役に立っている、そう考えれば、何気ない日常も輝いて見える」とある、Mr.Childrenの「彩り」の歌詞にも、通じるものがあると思います。
「便利さで時間を得た分、心を奪いかねない」という、何とも皮肉な寓話でありますが、現代においてもそれが典型的に当てはまるような例、たくさんありますね。
昨日の記事でも書いたように、オウンドメディアでみんなが記者のようになり、それが社会の利便性を追求したものであれば、まだ幾らかは心にも響くのですが、商売っ気が垣間見得た瞬間に心を閉ざしてしまう経験はおありではないでしょうか。
それは、人間は、機械化することを、心のどこかで踏みとどまっているのかもしれませんね。
「第2波が〜」や「自粛が〜」が言われてますが、マスクをするという小さな作業も、それ自体は予防にあまり効果がないとはされてますが(夏場は熱中症も)、少なくとも、それで周りは安心していると考えれば、ちょっとは頑張れるし、嬉しい気持ちにもなれますよね。
Stay Homeとは、便利を極限まで追求することです。
どこか社会がそれを要求してきてるような、そんな風潮を感じますが、突き詰めると子供の学校もオンラインで、会議も接客もオンラインで、人と人がなるだけ接触しない方向に進めば、間違いなく、人の心は蝕まれます。
さらに預金や生活まで管理されるようになると、もうそれは奴隷と変わりません。
(奴隷という言葉は、西洋からきた差別用語なのであまり使いたくないのですが)
そんな時代だからこそ、一見面倒な作業、手のかかる小さな仕事でも大切にしていきたいですね。
というわけで、今朝は長くなりましたが、今日も頑張りましょう!
(関連→「スマホを触る時間」)