2020-06-19

視座とは

上の画像がどのように見えたでしょうか。

頂上に到達して気持ち良い景色を見ている

これまで登ってきた「道のり」を見て悦に浸っている

まだまだ頂上までの行く末が実感できず、永遠の時を感じている

半ズボンが寒くて後悔している

如何様にも見えますし、正解はありません。

二つの大きな町に挟まれたオアシスに、一人の老人が座っていた。

通りかかった男が老人に尋ねた。

「これから隣の町に行くのですが、この先の町はどんな町ですか?」

老人はこれに答えずに聞いた。

「今までいた町は、お前にとってどんな町だった?」

男はしかめっ面をして言う。

「タチの悪い人間が多くて、汚い町ですよ。だから隣の町に行ってみようと思ったんです。」

老人はこう答えた。

「お前がそう思っているなら、隣の町も、タチの悪い人間が多い、汚い町だろうよ」

しばらくすると、さっきの男が来たのと同じ町から、別の男がやって来た。

その男はさっきの男と同じように老人に尋ねた。

「これから隣の町に行くのですが、この先の町はどんな町ですか?」

老人はこれに答えずに聞いた。

「今までいた町は、お前にとってどんな町だった?」

男はにこやかに答えた。

「親切な人が多くて、きれいな町です。」

老人はこれを聞いてこう言った。

「なるほど、お前がそう思うなら、隣の町も親切な人が多い、きれいな町だよ」

これは、「オアシスの老人」という有名な寓話です。

例えば、とても嫌なことがあると、「世の中の全てが嫌なものだ」という視点になり、そこらを歩いてる人までも意地悪で邪悪なもの、目に入ってくる店や車、野良猫まで全てが「嫌なもの」に見えてきます。

関係ないのに。

反対に、とても嬉しいことがあると、「世の中全てが良いものだ」という視点になり、みんなが親切で笑顔に見え、腕に止まった蚊でさえ殺すのをためらい、隣の家の雑草まで刈ってあげようか、という仏のような気分になることさえあります。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」

という言葉もあるように、見えてる視界は心の眼。「他者というのは自己の対立概念」という見方をすれば、心の持ち方で意識は決まるので、世の中の見え方はその意識の数だけ存在するのです。

「物事を見る姿勢や態度、立場」のことを視座と言いますが、何事も見方によって見え方が変わります。見る位置や角度、捉え方によって、その後の未来(推測)までもが変わります。

そう考えると、「今の心の持ち方が将来を決めている」ということになります。

心の持ち方は無限にありますので、未来も無限の可能性があります。人の心の持ち方は、1秒で変わります。なので未来も1秒で変わり得ます。ところが厄介なのは、「人の心は意識の結果」なのですね。

1秒で変わるが、1秒で変えられるものではないんです。あくまでも結果なので。その結果を想定することはできません。例えば、

これをやれば楽しい

と思ってした行動が、結果、

あまり楽しくなかった

という経験はありませんか?
反対に、期待してなかったのに

思いもよらず楽しかったり嬉しかったり、気分が良くなる

こともよくあるかと思います。
結局は「意識の集合体が結果として現実を想定する」のですから、座右の銘、

一喜一憂しないこと  人間万事塞翁が馬

なのであります。

今日も頑張りましょう。前向きに。

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