2020-04-13
うわさの法則
先日買った雑誌の「Newton」に、面白い記事があったのでご紹介します。
タイトルは
「集団がだまされる、広まりやすいうわさの法則とは」
特に最近はインターネットやSNSで情報が溢れてますので、何がなんだか分からなくなってしまいがちです。
それはなぜなのか、について簡単に説明しますと、
まず、うわさは大きく分けて3つの種類があるそうです。
一つ目は「ゴシップ」。これは自分の身近な人や事柄について、身近な人同士で話すもの。
二つ目は「流言」。これは今まさに起こってる疫病や、他には地震、温暖化など、社会で起こってる情報に関するもの。
三つ目はいわゆる「都市伝説」。口裂け女や人面犬などのことで、最近は写真や動画の加工技術の発達とSNSの浸透で、視認的なものから参加型のもの(「きさらぎ駅」など)に変化してきました。
このうち、二つ目の「流言」について、これは社会的なものなので、広まった時に事件や騒動に発展する可能性があります。
ではどういう条件のもとでこの「流言」は広まるのかを、アメリカのゴードン・オルポートという心理学者らが、数式にまとめました。
それによる、
R:流言の広まりやすさ
i:情報の重要さ
a:証拠の曖昧さ
とすると、
R=i × a
だそうです。
典型的な例として、1973年に愛知県で起こった豊川信用金庫の取り付け騒ぎがあります。
この一連の流れを見てみると、
①豊川信金に就職が決まった女子高生Aを、友達のBCが「信用金庫は危ないよ」とからかう(「危ない」の意味は、強盗などの可能性のこと)
②Aはそれを真に受けて親戚Dに相談
③その親戚Dが別の人に相談
④そこに居合わせた人がそれを又聞きし、奥さんに話す
⑤主婦の間で断定的に噂が広まっていく
⑥ある人が仕事の要り用があり、豊川信金から預金を引き出すよう、電話で指示
⑦それを聞いた別の人間が、「やっぱり危ないんだ!」と感じ、慌てて自分の預金を引き出し、さらにある無線愛好家に言いふらす
⑧その無線愛好家が無線でさらに喧伝
⑨同信金窓口に預金者が殺到
⑩事態の収拾のため、同信金が出した声明がさらに曲解され、パニックに拍車が掛かる
というわけです。
最終的には本店の金庫前に高さ1m、幅5mに渡って現金が山積みされたそうですが、終盤にかけて流された流言(うわさ)として、
「利子が払えないからやはりおかしい」
→実際は払い戻し処理を急ぐための措置
「銀行に立ち入り捜査が入った」
→騒ぎを収めるために警察が来ただけ
そこから2次デマとして、
「職員の使い込みが原因」
「5億円を職員が持ち逃げした」
「理事長が自殺」
などが広まりました。
これは典型的過ぎる例ですが、騒動が大きくなった要因として、
◆当時、オイルショックによるトイレットペーパー不足など、社会不安が増加しており、デマが流れやすい下地ができていた
これをベースに
◆自己の財産(生命)に直結するリスクの高い事柄であった
⇨( i )
◆騒動の数年前、実際に付近の金融機関が破綻していたため、金融機関が発表する情報に対する信用が失われていた
⇨( a )
下地がある上で、i も a も大きかったため R(流言)が広まった、というわけです。
今に当てはめてみると
このようにみると、
①下地があること
②重大性が高いこと
③証拠が曖昧なこと
この3要素が必要になります。(必要になるという言い方もどうかと思いますが…)
今に当てはめてみると、
①緊縮財政による長引くデフレと格差拡大、経済疲弊
②肺炎になると呼吸も苦しく、命に関わる
③GDPデータの元データすり替え、公文書改ざん、偏向報道
③については、検査キットが不足してるだのしてないだので「感染者数、回復者数、死亡数及びそれらの率」の確固たる証拠が曖昧になっています。
これらが出揃い、
「人工的に作られた」「自然発生的なもの」
「致死率が高い」「致死率はインフルエンザ並み」
「マスクは効かない」「手洗いの方が重要」
「食糧危機が起こる」「スーパーから食べ物がなくなる」
「感染すると息が苦しくなる」「感染しても8割は症状が軽い」
「ウイルスの種類が世界で異なる」「変異している」
「人口削減を狙っている」「米が中に仕掛けた」「ビルゲイツが〜」などなど
様々な「流言」が伝言ゲーム的に飛び交う事態となっているわけです。
ただ、そういった中で、改めてこの機会に分かったこともあります。
それは、
・よく言われる「インフルエンザ対策(マスク、うがい、手洗い)」は効果的であること
・日本の首脳陣はとっさの災害(人災含め)に弱いこと
・様々な業種(仕事)があるから、世の中が楽しいこと
何より、「人間は人種が違っても根っこは同じであること」ではないでしょうか。
最後に
「うわさ」は、時には命を脅かしたり、生活に直結するような不自由をきたしたり、また時には「都市伝説」としてエンタメにもなりえる事があります。
「うわさ」だからとバカにすることもできなければ、「うわさ」だからと過剰反応すると、それが社会に悪影響を及ぼすこともあります。
そのような大きな「うわさ」には、ある法則があるのです。
重大性と曖昧さが、掛け算となって膨らんでいく、その危険性を理解するだけで、自分がその被害者にならないよう、冷静に社会をみる目が養えるのではないでしょうか。
先日とあるサイトのコメント欄で、三重県の状況が書かれておりました。
内容は、「三重県の某飲食店が、客足が遠のく中、頑張っている」というようなものでしたが、それに対し、みなさんの応援メッセージが、
「もう少しなので頑張ってください」
「収束したら食べに行きますねー」
「次回仕事で三重に行くので、是非寄らせていただきます!」
「松阪牛を久しぶりに食べに行こう!」
「中国がパクった松坂牛と間違えないようにしてくださいね!」
などのとても温かいメッセージがたくさん書かれてました。
でも実はこれ、日本だけじゃなく、世界で起こってるそうなんです。
人類の未知のものとの戦いの中で、未知のうわさが飛び交う中、こういうお話し、ちょっと嬉しいですね。