2021-11-21

沖縄へ行って参りました。仕事の打ち合わせもあったので観光がメインではなかったのですが、合間を塗ってまずは首里城へ。
守礼門

中学の頃以来なのですが、首里城を見た記憶が無く、ただ脇の道路を通り過ぎただけだった気がしてたのですが、それもそのはず、再建されたのは1989年以降だったんですね。
今度こそはしっかり見ておこうと思ってたのですが、2019年の正殿を中心とした大規模火災で、今回も見ることができたのは、一部となってしまいました。
ちなみに首里城といえば、赤瓦のイメージがあると思いますが、建築当時は板葺の屋根だったそうです。その後、火災に見舞われ灰色の瓦となったのですが、1600年代初期、再び火災が起き、赤色の瓦となったそうです。
当時はご存知「琉球王国」。琉球という名前は、当時、朝貢貿易を行っていた中国(当時は明)側からの呼び名で、「沖縄」というのは、実はその由来がまだ分かってないんだそうです。
歴史的には琉球王国は当時の中国とも日本とも貿易を行なっており、その前は肉や魚などの食べ物が豊富に採れたことから狩猟採集の時代が長く続いておりまして、本土よりもだいぶ遅れて稲作が始まったそうです。
この稲作が始まったことから「アジ」と呼ばれる集落が、互いに領地を争うようになって、最終的に1429年、「尚巴志(しょうはし)」という人物により島が統一された、という経緯です。
この「首里城」は、尚巴志が拠点にしていたお城(グスク)で、その後の貿易や儀式などでも使われておりました。
簡単な歴史を勉強して見る首里城は特別なものがありまして、せっかくなので時間の許す限り隅々まで見てきました。

ここを上がって正殿の方へ入って行きます。

下の写真の水が出てる部分の龍は、当時からあるものらしいです。

これで時刻を測っていたと言われてます。

火災で…

当時の石垣ですが、何度か作り直されたそうです。

当時、女官が使ってたとされるお風呂。

こちらは正殿があった場所です。

正殿から見た広場。

ここでいろんな儀式などが行われていたそうです。

火災で焼けた龍の髭。

この他にも残存した石塔なども展示されてます。

石垣の下部分、黒っぽくなってるところは当時の石垣だそうです。

本土では鎌倉時代ごろなので、お城に石垣を用いたのは、こちらが先なんですね。

大交易時代に大陸から入ってきたとされる曲線も交えた石垣、とても立派です!

この石垣、戦争で上部分はぶっ壊されてしまったので、その後精巧に復元されました。

そしてこちらは全体の写真。

この辺りから鐘を鳴らして時刻を全体に知らせてたんじゃないかと言われてます。

城壁の曲線美が綺麗です。

もちろんお土産コーナーも所々にあり、見どころ満載の「首里城」。2026年ごろには正殿の復元が完成し、その後、北殿、南殿と復元が進んでいくそうです。完成するのを待つのも良いですが、全国から最高峰の宮大工が集結し復元作業を進めているそうで、その現場を見るのも楽しみの一つですので、機会のある方は是非♪( ´θ`)ノ
次回は「美ら海水族館編」お送りします!
首里城公園HPはこちら

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